EYEO 2016 · Nicky Case
社会を変えるのは、誰と誰のつながりか — Nicky Caseの遊べるシステム思考
一人ひとりの小さな選択が、集団では思いがけない結果になる。図形の住む街や絵文字のシミュレーションを通して、個人と社会の往復を考える。
- 登壇者
- Nicky Case
- 開催年
- 2016
- 講演原題
- The Dance is Not The Dancers
- 記事更新
- 2026.10.17
社会の問題を説明するとき、悪いことをする誰かを見つければ、話は分かりやすくなる。けれど、個々の人には極端な意図がなくても、つながり方や小さな選択の繰り返しから、望ましくない全体が生まれることがある。Nicky Caseの2016年の講演は、その隔たりを、触って学べる作品から考えていく。
題名は「The Dance is Not The Dancers」。登場人物の性質と、その人々がつくる動きの性質は同じとは限らない。Caseが紹介するのは、社会を外側から眺める説明だけではなく、条件を変え、結果を見直し、自分もその関係の中にいると気づくためのシミュレーションだ。
個人だけでは、見えない問題がある
講演当時、CaseはPBS FRONTLINEとの仕事を通じて、暴力や社会的な問題を調べていた。その中で関心を持ったのが、ごく普通の人々が、集団の中で深刻な行為に関わってしまうという問題である。理解の対象を、特別な人物の内面だけに置いてよいのかという問いだ。
Caseは講演の柱として、普通の人々のつながりがなぜ悪い社会をつくるのか、つながり直すことでより良い社会をつくれるのか、その中で一人の人間に何ができるのかを挙げる。集団の問題を語ることと、個人の役割を考えることが、最初から組み合わされている。
ここで紹介される社会心理学は、講演者が作品を設計するために参照した枠組みである。シミュレーションの振る舞いを、そのまま実社会のすべての人に当てはめる話ではない。限られた規則を取り出すことで、普段は見えにくい関係を考えられるようにする試みとして読む必要がある。
関係をつなぐと、振る舞いが変わる
最初の例は、過激化の社会心理を扱う制作中のインタラクティブ作品だ。画面上の人々を線でつないだり、つながりを外したりして、互いの影響を観察する。人物の状態が、独立した固定の性質としてではなく、関係の中で変わるものとして描かれる。
Caseが説明する規則には、尊敬する相手の行動から学ぶことと、ある集団では極端な行動が地位につながることがある。これらを組み合わせると、最初から極端ではなかった人々が、互いを参照する中で変化していく。講演では、これを集団極性化という概念と結びつけて紹介する。
つながりの線は、単なる関係図の飾りではない。線を変えることが、その後の動きに影響する。読者は説明を受け取るだけでなく、自分の操作と結果を対応させることになる。同じ人物の集まりでも、関係を変えれば、全体の行方が変わりうるという見方を得られる。
Caseは、問題を示すだけでは終わりたくないと話す。この試作でも、異なるロールモデルの影響を使い、集団の変化を別の方向へ動かす可能性を置いていた。ただし、講演で見せるモデル上の操作は、現実の過激化に対する確立した対策を示すものではない。説明の仕組みと現実の介入は区別したい。
小さな好みから、大きな分離が生まれる
次に登場するのが、Vi Hartとの共同制作「Parable of the Polygons」である。三角形と四角形が住む街を使って、個人の小さな好みと、社会全体の分離の関係を体験する作品だ。抽象的な図形に顔を付けることで、住む場所への満足や不満を読み取れるようにしている。
図形の規則は単純だ。周囲のうち、自分と同じ形が三分の一より少なければ引っ越したくなる。自分の周りを同じ形だけにしたい、という強い条件ではない。異なる形が混ざっていても、その場所に留まれる余地がある。
ところが、不満のある図形だけを動かしていくと、全体では形ごとに分かれた地域が育っていく。一回の移動が誰かの隣人を変え、その変化が別の移動を促す。個々の判断は局所的でも、繰り返すうちに、誰か一人の意図とは異なる大きな配置が現れる。
作品では、読者が手で図形を動かす体験から、大きな集団を自動で動かすシミュレーションへ進める。個々の行動を理解した後に、同じ規則が大量に繰り返された結果を見る。その順序によって、全体の模様を、不可解な結果ではなく、追跡できる過程として受け止められる。
さらに、すでに分離した状態から、違う形も近くにいてほしいという条件を加えるとどうなるかを試す。問題を生む規則を見つけることと、別の状態へ動く条件を探すことが、一つの作品の中で続いている。
補足: 公開作品はThomas Schellingのモデルを基盤としており、現実の社会にはさらに多くの条件があることも説明している。講演での読み取りはモデルの中で起こることを入口にしたもので、社会の分離の原因を一つに限定するものではない。
創発を、繰り返しから理解する
Caseは、こうした個人と全体の違いを、創発という考え方でつなぐ。氷、水、水蒸気を例に、同じ要素でも、結びつきや動き方が違えば全体の性質が異なると説明する。要素をよいものに取り替えることだけでは、関係のつくる問題を捉えきれないという比喩だ。
別の例として、アリの集団や神経細胞にも話が及ぶ。重要なのは、全体の複雑さと、一つひとつの規則の複雑さを同一視しないことにある。個々の要素を見ているだけでは気づきにくい性質が、やり取りの積み重ねから生まれる。
講演の図形の街は、その考えを目の前の動きへ落とし込んでいる。小さな好みがある、という説明だけなら、読者はその影響を小さく見積もるかもしれない。実際に何度も動かしてみると、一つの移動が次の移動を呼ぶ様子を見られる。規模を大きくする前に、小さな規則を体で覚える設計が効いている。
遊ぶ人から、モデルをつくる人へ
絵文字を使ったシミュレーションでは、結果を動かすだけでなく、仕組みを自分でつくる方向へ進む。火が別の場所へ広がり、広がった先がさらに火を増やすような関係を、身近な記号で表す。原因が結果を生み、その結果が再び原因に関わる、フィードバックの考え方が中心になる。
この作品では、自分のシミュレーションを保存して共有し、他の人がそれを作り替えることもできる。用意された一つの説明を理解するだけでなく、自分なら何を要素にし、どんな関係を置くかを考える。モデルづくり自体が、問いを言葉にする方法になる。
もちろん、絵文字を並べただけで現実を検証できるわけではない。それでも、何を規則として仮定したのかを明確にすると、その仮定を他の人と話せる。講演が示す学びは、答えの暗記よりも、条件と結果を結びつけ、変えて確かめる行為に近い。
社会からの影響と、自分の限界を両方見る
個人が社会をつくるのか、社会が個人をつくるのか。Caseの答えは、片方だけではなく、両方向の関係として考えることだ。この点は、講演後半の個人的な経験によって、単なる抽象論ではなくなる。
Caseは、不適切な扱いを受けていた住環境で、相手の行動を環境のせいとして説明し、自分は状況を良くする責任を負うべきだと考え続けた経験を話す。他人については社会から個人への影響だけを、自分については個人から社会への影響だけを見ていた、という振り返りである。
そこで語られるのは、行動の理由を説明することと、その行動を許すことは別だという区別、そして自分一人を万能の解決者として扱わないことだ。周りの人が変化に気づき、相談を受け止め、環境を離れる助けをしたという過程が紹介される。
講演の終わりは、社会を正しく動かす一つの答えには向かわない。コミュニティから影響を受け、考えを持ち帰り、作品や物語をつくって再び他の人へ返す。支えられることと、何かを生むことの両方が、その往復に含まれている。
制作へ持ち帰るための視点
ここからは編集上の考察です。 この講演をインタラクティブな説明の設計へ引き寄せるなら、読者にどの仮定を操作してもらうのかを先に決めたい。単に画面が動くことより、操作した条件と、変わった結果の関係が追えることが重要になる。
小さな系を手で動かした後に、大きな系で反復を観察する構成も参考になる。規則を最初からすべて文章で理解してもらうのでなく、一回の行動が何を変えるかを確かめ、そこから全体へ進める。その順序が、複雑な話への入口をつくる。
一方で、モデルが分かりやすくなるほど、現実もその通りだと思わせる危険は増える。何を省いたか、どこまでを説明するかも一緒に示したい。Caseの個人と社会の往復は、説明を完成された答えとして渡すより、読者が自分の仮定を考え直せる場として開く姿勢を教えてくれる。