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EYEO 2016 · Moritz Stefaner

データを食べると、何が分かるのか — Moritz StefanerのData Cuisine

味、香り、食感、調理、食べる順番。食を情報の媒体として使うData Cuisineから、数字を読むことと、身体で経験することの関係を考える。

登壇者
Moritz Stefaner
開催年
2016
講演原題
Data Cuisine
記事更新
2026.10.17

人口構成をラザニアで表すとしたら、どうするだろう。人数の比率に合わせて切り分けるだけで十分だろうか。香辛料の変化を使えば、違う時代の人口構成を、食べ進める順番として経験できるかもしれない。Moritz Stefanerが2016年に紹介する《Data Cuisine》は、食べ物の形をしたグラフをつくる活動から、さらに踏み込んでいく。

キュレーターのSusanne Jaschkoと進めるこのワークショップでは、地域の人々、料理人、データに詳しい人が集まり、その場所に関係する情報を料理で表す。完成するのは、画面で読める数値の代用品だけではない。食材を選び、調理し、集まり、味わうまでの時間に、情報の意味を編み込む試みである。

食には、すでに伝える力がある

01:23からの講演を見る

Stefanerは、食がもともと持っている個人的、社会的、文化的な意味に注目する。同じ材料でも、調理法や組み合わせによって、特定の土地や家庭、出来事を思い出す。誰と食べるか、何のために用意するかも意味を変える。食べ物は、情報を載せる前から、豊かな関係を伝えている。

データ表現の方法を考えるときには、長さ、位置、色など、図形の変数に注目する。食を媒体にすると、そこへ味、香り、食感、温度、量、調理の時間が加わる。さらに、食べる順番や、何かを取るために移動する行為も使える。情報を表す場所が、目に見える完成形の外まで広がる。

ただし、変数が多ければ自動的に伝わるわけではない。食材の意味は、場所や人によって異なる。ある料理が何を思い出させるかは、表す数字と同じくらい大切になる。そこでData Cuisineは、地域の食材とデータを、地域の人々と一緒に扱うことを重視する。

ワークショップの進行役が、世界中で同じ正解の料理を配るのではない。その場に集まった人が、何を伝えたいのかを決める。料理人の知識も、見栄えよく仕上げる最後の工程としてではなく、表現の方法を考える段階から関わっている。

見ただけでは分からない、味の時間軸

13:31からの講演を見る

グラフを料理の上に描くなら、写真でも多くを伝えられる。しかし味を使う作品は、その場で食べなければ経験しにくい。Stefanerが紹介する事例では、調味の強さや素材の組み合わせが、データに対応する要素となる。見た目には似ていても、口にすると違いがある。

ヘルシンキの人口構成の変化を扱ったラザニアでは、香辛料の配合が、移民の構成と結びつけられる。食べ進める方向に沿って、異なる時点の配合を味わう。全体を一度に見渡すグラフとは異なり、ある味を経験した記憶を持って、次の味へ進むことになる。

この表現では、時間軸が図の横方向に置かれているだけではない。食べる自分の時間として進む。味が残ることや、次の一口を予想することも、体験に加わる。データの違いを一つずつ比較する行為が、身体の中に組み込まれる。

もちろん、味を使えば数値を正確に読み取れるとは限らない。個人差も、食材の違いもある。ここで目指されるのは、すべての値を即座に復元することだけではなく、情報の違いを気にかけ、覚えていられる経験にすることである。

調理法に、土地や移動の物語を込める

16:19からの講演を見る

《Emigration Fish》では、若者の国外への移動を、一尾の魚の異なる部分と調理法に結びつける。移動先に関連する食の連想が、それぞれの部分に与えられる。量の違いとともに、どこへ向かうのかという地理的な意味が、料理の違いになる。

食材を単なる色付きの領域として扱うのではなく、調理法が呼び起こす知識を使う。食べる人がその文化を知っていれば、一口から場所や習慣を思い出す。知らなければ、説明や会話から新しく関係を知る。料理は、数字を提示するだけでなく、話し始めるきっかけにもなる。

この方法には、連想に頼りすぎる危うさもある。ある土地を一つの料理で代表させれば、多様さは失われる。講演の事例は、万人に共通の記号体系を完成させる話というより、その地域、その集まりで意味のある表し方を試すものとして理解できる。

味や文化の関係を確かめるには、参加者同士のやり取りが欠かせない。誰がその連想を共有しているのか、何を説明しないと伝わらないのか。作品の意味は、調理台の上だけで完結せず、食べる場で調整されていく。

量を減らすことと、条件を変えること

19:11からの講演を見る

研究予算の削減を扱うケーキの事例も紹介される。完成したケーキから一定の割合を切り取れば、減った量は分かる。しかし、材料の砂糖を同じ割合だけ減らしてから焼くと、食感や味そのものが変わる。同じ「削減」でも、完成品の一部がなくなることと、つくられる条件が変わることは異なる。

この料理は、政策の影響を実証する実験ではない。砂糖と研究費が同じ性質だというわけでもない。それでも、数値の減少を単なる面積の減少として見ると取り逃すものがある、という問いを具体化している。割合だけでなく、結果の質が変わりうることに注意を向ける表現である。

料理の工程を使うと、データは完成品の見た目だけに対応しなくなる。材料を入れる段階、待つ時間、火を通す条件などが、何が起きたかを考えるための場所になる。食べる前の作業まで、情報表現の一部として扱えるのだ。

不便さを、読む代わりに経験する

20:00からの講演を見る

マリの通信環境を題材にしたミートボールの事例では、ソースを別の場所へ置く。携帯電話を使うことと、その電力を確保することの条件が同じではないという問題を、食べるために移動しなければならない状況へ置き換える。講演当時に扱われた地域のデータをもとにした表現であり、現在の通信環境を説明する数字ではない。

ここでは、皿の中にグラフを見つける必要がない。食べる人自身が、足りないものを求めて動く。その行為が、情報の主題を理解する入口になる。自分の身体が、作品を見る位置から、作品の関係の中へ移るのである。

同時に、短い不便を経験しただけで、その地域で暮らす人々の生活を理解し尽くせるわけではない。作品は経験を丸ごと再現する装置ではなく、普段は考えない条件に関心を向けるきっかけとして働く。その限られた役割でも、数字だけでは始まりにくい対話を生むことがある。

料理になる前の、問いをつくる時間

24:48からの講演を見る

ワークショップでは、参加者が意味のある食材を持ち寄り、そこにある個人的な話を共有する。何を題材にするかは、手元に巨大なデータがあるからという理由だけでは決まらない。その場所で大切な問題、参加者が知りたいこと、伝えたいことを探す時間がある。

次に、料理として試す。情報との対応が面白くても、食べられる形になるとは限らない。味や調理の制約が、最初の案を変える。ここで料理人は、アイデアを実現する補助役にとどまらず、どんな表現が可能なのかを判断する共同制作者になる。

27:52からの講演を見る

完成した料理は、集まった人々が食べることでなくなる。写真には見た目が残るが、味やその場の動作をそのまま保存できるわけではない。そこで、使った食材とデータ、調理と表現の仕組みをレシピとして残す。再びつくり、別の場所で考えるための方法が、作品の記録になる。

Stefanerが語るのは、少数の事実を丁寧に味わうような情報体験だ。大量の情報へ瞬時にアクセスすることだけが豊かさではない。一つの主題に時間をかけ、人と話し、自分の感覚で関わることにも価値がある。

制作へ持ち帰るための視点

以下は、講演を踏まえた編集上の考察である。

媒体を変えるときには、既存の図の形を移すだけでなく、その媒体だから起こる行為を探せる。食なら、切る、待つ、分ける、運ぶ、味わう。それぞれが、表したい関係と結びつく可能性がある。

正確な数値を読む必要がある場面と、問題に関心を持つ入口をつくる場面も区別したい。味覚の表現を通常のグラフと同じ尺度だけで評価すると、その強みを見失う。一方で、強い体験が数値の説明を代わりに保証してくれるわけでもない。何を伝え、何は別に示す必要があるかを決めることが大切になる。

また、参加者の知識を最初から制作の材料にする方法も学べる。題材の選定を専門家だけで終えず、その場所の食や生活を知る人と始める。そうすれば、データを表す仕事は、知らない誰かへ結論を届けるだけでなく、関係する人たちと問いを共有する時間になる。

出典・関連資料

この記事は非公式の解説です。講演の全文翻訳ではありません。映像と音声で伝えられる作品の表現も、元動画でぜひご覧ください。