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EYEO 2016 · Patricio Gonzalez Vivo

火山灰からシェーダーへ — Patricio Gonzalez Vivoがつなぐ偶然と制作

アルゼンチンでのアートの活動から、火山灰のインスタレーション、The Book of Shaders、地図へ。偶然の出来事と道具づくりが、どのように表現と人のつながりを育てるのかをたどる。

登壇者
Patricio Gonzalez Vivo
開催年
2016
講演原題
What Are The Chances?
記事更新
2026.10.17

ひとつの検索が、その後の制作を変えてしまうことがある。Patricio Gonzalez Vivoは、Flashで自分のウェブサイトをつくっていたとき、XMLの処理について調べるつもりでProcessingに出会ったという。2016年の講演「What Are The Chances?」は、その偶然を、予想外の出来事や人との出会いが次の制作へ続いていく物語として語る。

登場するのは、共同で絵を描く場、火山灰、ピクセルごとの計算、世界の地図だ。一見離れた主題だが、そこには、複雑な環境にどう関わるか、道具をどう他者へ開くかという問いがある。技術の習得が一直線に作品へ結実する話ではなく、作品と道具と周囲の人々が、互いに方向を変えていく講演である。

コードを、表現の言葉として見つける

02:34からの講演を見る

当時のGonzalez Vivoは、ブエノスアイレスでアートを介した活動に関わっていた。Processingとの出会いで見つけたのは、計算のための便利な機能だけではない。プログラムを書くことを、音楽や絵画、身体を動かすことに通じる表現の言葉として扱う人々だった。

その見方では、コードは、すでに頭の中に完成した絵を効率よく出すためだけの手段にならない。書いて、動かして、現れたものから次を考える行為になる。材料に触れながら進む制作と同じように、思っていなかった形や振る舞いが、次の判断を誘う。

表現の方法が増えるだけでなく、作品を他者に開く方法も変わる。人の動きが画面に作用する、複数の人が同じ場を変える、ある操作の結果が少し遅れて返ってくる。コードによって、完成した像と鑑賞者の関係そのものを組み立てられるようになる。

触ってもらうだけでは、関係は生まれない

05:17からの講演を見る

共同で描くテーブルの実験では、作者の意図と参加者の行動がずれる。子どもたちは思い切り動き、大人たちは道具を壊さないかと慎重になる。同じ装置を前にしていても、体験しているものが違う。複数の人が同時に触れれば、互いを意識する共同制作になるとは限らない。

この経験から生まれるのが、動きに反応する生態系のような作品《Efecto Mariposa》である。強く、急に動くと、環境の均衡が崩れる。変化した場が回復するまでには時間がかかる。参加者は、自分が何を起こせるかだけでなく、どう動けば、その世界と一緒にいられるかを試すことになる。

重要なのは、派手な反応が必ずしも成功として返ってこないことだ。反応が大きいほど楽しい装置なら、人はさらに強く動こうとする。ここでは、注意深く動くこと、待つこと、他の変化を見ることに意味が生まれる。作品の振る舞いが、参加する態度を育てていく。

講演で語られるアートと人の関係は、こうした経験の設計に結びついている。鑑賞者の内面を作者が決めつけるのではなく、環境の応答を通して、自分の行為を感じ直せる余地をつくる。インタラクションを操作の受付としてだけ考えない視点である。

遠い出来事が、作品の材料を変える

13:23からの講演を見る

講演では、2011年のチリの火山噴火が、アルゼンチンでの生活や制作に及ぼした影響も語られる。遠くで起きた現象が風によって運ばれ、都市の活動を変えてしまう。普段は安定して見える移動や暮らしが、別の場所の出来事とつながっていることが、突然実感になる。

Gonzalez Vivoは、砂を使う予定だった作品に火山灰を用いた。作品の中の環境が繊細に変化することと、現実の環境が予測どおりに保たれるとは限らないことが、素材を通じて重なる。灰は、単に珍しい見た目を生む材料として加わるのではない。制作する自分自身が影響を受けた出来事を、作品へ持ち込むものになる。

風や気象を作品に使うことにも、この姿勢が見える。画面の内部だけで都合のよい変化を生成するのではなく、その外にある環境と表現を結ぶ。変化の源が作者の完全な管理下にないことが、作品と世界の関係を生む。

ただし、偶然やつながりについての語りは、因果関係を科学的に立証する説明としてではなく、作者が経験をどう結びつけて制作したかという話として読める。何が証明できるかとは別に、どんな出来事が、材料や関心の選択を変えたのかが示されている。

一つのピクセルから考える、短い表現の強さ

14:01からの講演を見る

リアルタイムの表現に取り組む中で、Gonzalez VivoはGLSLによるシェーダーに惹かれる。画面の各ピクセルに、どんな色を返すかを記述する。大きな構造物を順に組み立てるのとは異なる発想で、位置や時間、数式から像が現れる。

彼は、その制約を俳句に重ねて話す。使える仕組みを増やし続けるよりも、限られた条件の中で何ができるかを探る。短い式でも、反復や組み合わせから豊かな動きが生まれる。制約が想像力を妨げるだけでなく、表現に集中するための形になる。

シェーダーは、高度な映像の最後に加える特殊効果という位置づけからも離れていく。色を混ぜる、線の変化をつくる、時間で形を変える。そうした小さな操作を、視覚的に試しながら理解できる材料として扱う。数式を覚えてから表現するという一方向ではなく、見えた結果から数式を理解していく往復がある。

その制作で得たものを公開したofxFXも、人とのつながりを生んだ。完成した作品を見せるだけでなく、別の人が使える道具にすると、自分の目的とは異なる使い方や交流が返ってくる。開いた道具が、その後の学びや仕事の経路まで変えていく。

学びの入口を、自分たちでつくる

15:53からの講演を見る

Jen Loweとの《The Book of Shaders》は、シェーダーを学ぶための入口をつくる試みだ。講演では、難しいものを難しいまま示して選別するのではなく、試して理解できる説明へ変えることが語られる。説明の横でコードを動かし、値を変え、像が変わるのを確かめる構成が、その考えを具体化している。

たとえば、三つの数をまとめて扱うvec3は、色としても位置としても考えられる。同じ数学的な形が、違う見方を持つ。数値の列だけでは捉えにくかった関係も、色や位置にして眺めることで、変化の意味をつかめる。画面の結果は完成品であると同時に、考えるための手がかりになる。

23:20からの講演を見る

読者がコードを変更し、共有し、別の作品に使うと、その結果が作者たちにも返ってくる。教材は、教える側の知識を配る箱にとどまらない。説明を読んだ人が予想外の使い方をすることで、教える側も表現の可能性を知る。

講演で翻訳や各地からの反応が紹介されるのも、この循環の一部だ。技術の入口を開く仕事と、表現の新しい方向を探す仕事は別々ではない。自分が使えるようになった道具を他者にも渡すことが、まだ知らない作品との出会いにつながる。

地図と道具を、長く共有できる場所へ

講演当時のMapzenでの仕事にも、開かれた道具への関心が続いている。Gonzalez Vivoは、地理情報や地形を使った表現と、その基盤を紹介する。一方で、それまでの制作では、外部の仕組みが変わり、作品が同じように動かなくなる経験もあったと語る。

作品が依存するデータや仕組みを誰が持ち、どのように使えるのか。それは、制作が終わった後の管理だけの問題ではない。試作を重ねられるか、別の人が引き継げるか、作品の方法を共有できるかに関わる。オープンな基盤への関心は、講演の前半にある、環境の繊細さへの意識とも響き合う。

28:09からの講演を見る

終盤では、複雑な世界に対して、注意深く、穏やかに関わる姿勢が語られる。大きな反応を起こせることだけが、技術を使う力ではない。他の変化に耳を澄ませ、自分の操作が何を変えるのかを確かめることも、その一部になる。

制作へ持ち帰るための視点

以下は、講演を踏まえた編集上の考察である。

参加型の作品をつくるときは、どんな操作ができるかに加えて、その操作を繰り返したくなる理由を考えたい。強く動くと大きく反応するなら、人は強く動く。ゆっくり観察することに意味を持たせたいなら、環境の応答や回復の時間まで設計する必要がある。

技術の説明でも、最初から全体を理解させようとしなくてよい。一つの値を変えると何が起きるかを見られる小さな場所が、抽象的な概念を自分の経験にする。そこで得た発見を保存し、共有できれば、学びは他者の実験へ続いていく。

そして、道具の公開を、完成した制作の付録だけと考えないようにしたい。自分の実験を他者が引き継げる形にすることで、自分も次の作品や問いを受け取れる。講演を通じた偶然の連鎖は、そうした出会いが起こりうる場所を開いておくことと、切り離せない。

出典・関連資料

この記事は非公式の解説です。講演の全文翻訳ではありません。映像と音声で伝えられる作品の表現も、元動画でぜひご覧ください。