EYEO 2018 · Casey Reas
音楽に、もう一つの世界をつくる — Casey ReasとThe Nationalの映像実験
写真、ノイズ、フレーム差分、そして記憶。The Nationalの楽曲に応答する映像は、コードと素材の往復や、採用されなかった実験から立ち上がる。
- 登壇者
- Casey Reas
- 開催年
- 2018
- 講演原題
- THE SYSTEM DREAMS
- 記事更新
- 2026.10.17
完成したミュージックビデオを見ても、その表現がどこから来たのかは分からない。Casey ReasがEyeo 2018で見せたのは、The Nationalの音楽のためにつくった映像と、その背後にある多数のテストだった。採用されなかった案や、別の作品へ持ち越された処理までが、制作を理解する材料になる。
講演で扱われるのは、2017年のアルバム『Sleep Well Beast』をめぐる映像制作と、「Walk It Back」のための別の試みである。音に画像を添えるというより、音楽に応答する視覚の世界をつくる。そのために、写真、撮影、コード、編集が何度も行き来する。
個人的な仕事を、協働でつくる
Reasは冒頭で、作品がとても個人的なものであることと、制作が全面的な協働であることを同時に語る。バンドの関与に加え、撮影に携わるGraham MacIndoeやMatt Millerらとの仕事がある。登壇者一人の説明から、作品を一人だけの成果として受け取らないための前置きになっている。
バンドとの関係も、映像の依頼から突然始まったわけではない。Reasは学生時代に、後にThe Nationalに加わるメンバーと別のバンドで活動していた経験を振り返る。制作する対象は外から与えられた音源であると同時に、時間を共有してきた人々の表現でもある。
その上で示される出発点が、曲ごとにある世界に対して、映像にも補い合う世界をつくるという考え方だ。音と映像のリズムや質感は、常に一致する必要はない。重なったり、ぶつかったりする関係の中で、一方だけでは生まれない経験を探している。
講演には完成映像の上映が長く含まれる。本記事では、Reasが説明する制作の判断に焦点を当てる。音と像の実際の関係は、元の講演動画で確かめたい。
写真とノイズのあいだを振り付ける
「The System Only Dreams in Total Darkness」の制作では、最初から自由に撮影できる大量の素材があったわけではない。Reasが持っていたのは、Pentagramが手がけたスタイルガイドや、録音スタジオを撮った写真などだった。
スタイルガイドから発想した放送用のテスト信号のような案は、数日で別の方向へ置き換えられる。次に、自身が以前つくった作品やテストを見直し、その質感とスタジオ周辺の映像を組み合わせる考えが育つ。新しい作品の材料には、新たに撮ったものだけでなく、過去に試した処理も含まれている。
映像の速度を落とし、ノイズを加え、白黒の像に変える。しかし、処理を一度かければ終わりではない。元の映像が見える時間と、ノイズが支配する時間の割合や推移を調整する。Reasが説明するのは、素材とノイズの関係を時間の中で組み立てる作業だ。
この作品はコードで制作され、動いているものを記録して最終的な映像にしたと語られる。計算を使うことは、作者が時間の構成から手を引くことを意味しない。むしろ、何がいつ見え、どのくらい覆われるかを、操作可能な関係として扱っている。
フレーム差分を、ポートレートの表現へ
「Guilty Party」では、隣り合うフレームの違いを取り出すフレーム差分が足がかりになる。動きがなければ変化は少なく、動いた部分が像に現れる。ReasはProcessingの既存サンプルに触れながら、その処理へさまざまな映像を通して試した過程を見せる。
用語の補足: フレーム差分は、映像のフレーム間で画素の違いを計算する方法である。Processing Videoの公式サンプルにも例がある。本講演では、その差を動きの検出だけでなく、人物像をつくり変えるために使っている。
ReasはAndy Warholのスクリーンテストなどを処理し、差分とポートレートの相性を探る。その後、人物へ自然の映像を投影してから処理するテストや、地図の映像を使う試みへ進む。ある試作が最終映像に入らなくても、次の方向を見つける役割を持つ。
地図の映像は、スタジオ周辺やツアー先の都市を辿る小さなスクリプトから生まれた。これを人物への投影に用い、二つの肖像を重ねるテスト、色を割り当てるテストなどを重ねる。撮影は処理方法を決める前の一方向の入力ではなく、処理の実験を経て、必要な素材を取りに戻る工程になる。
さらに、同じ映像の隣り合う二フレームではなく、別々の映像同士で差分を取る方法も試される。同じ計算でも、何と何を比べるかで結果の感情的な調子が変わる。二重になった人物像や、違う方向を向く顔は、前と後ろ、過去と未来を見るという話につながっていく。
5,000枚の写真を、音楽の時間へ編み直す
「Day I Die」の出発点は、MacIndoeが二日間で撮影した約5,000枚の写真だった。バンドが練習する場面を記録した素材を、まずタイムラプスとして時間の流れに置く。撮影された順番が、そのまま曲に適した時間になるわけではなく、速さや組み合わせを探る必要がある。
Reasは「Guilty Party」とのつながりを意識して、ここでも差分の処理を試した。複数のアングルを系統的に組み合わせ、どの像が一緒に現れるとよいかを調べる。その後、音楽と重ねることで、像だけでは判断できなかった関係を確認していく。
別の案では、写真を順番通りに見せる代わりに、ランダムな順番で移動し、一枚の全体ではなく細い部分を取り出した。この方向に長く取り組んだものの、そのままこの映像の最終形になったわけではない。試作に費やした時間と、完成品に残った量は比例しない。
また、像を低い不透明度で重ね、少しずつ現れるようにする調整も紹介される。差分を取るかどうかという大きな手法の選択だけでなく、像が力を持って現れるまでの時間が重要になる。音楽に対する映像の質感は、こうした小さな調整の集積でもある。
不採用の実験が、別の作品を開く
「Day I Die」で使わなかった重ね合わせの実験は、その後の「Sleep Well Beast」で生きる。ある動画を順番通りに進め、別の動画はランダムに進めるなど、時間の異なる像を同居させる方法が、次の制作へ持ち越される。
「Sleep Well Beast」は住んだ場所や家という主題へ向かう。Reasとバンドのメンバーはオハイオに由来し、1990年代にブルックリンへ移り住んだが、講演時点ではもうそこに住んでいないと語る。MacIndoeが以前の住居の周辺を撮影し、それが映像の素材になった。
高解像度の建物や人物の映像から、独自の方法で低解像度の像をつくり、より具象的な像へ重ねる。ここでも、処理の面白さが単独で評価されるのではなく、曲の音の性質と関係づけられる。長く、一般的な曲と比べて構造の少ない音楽に、どう時間のまとまりを与えるかも課題になる。
最終的には、ブルックリンの住居からハドソン・バレーのスタジオへ向かう移動が、像の流れをつくる。抽象化された画面の下には、具体的な場所と人の時間がある。コードを使った映像が、個人的な記憶を扱う媒体にもなっている。
記録映像を、見られてきた装置で見直す
最後に扱う「Walk It Back」は、それまでの映像群とは別の発想からつくられた。曲に関係するRon Suskindの2004年の記事を背景に、C-SPANの政治の記録映像を編集する。Reasはその関心を、現実の捉え方や、政治権力が現実をつくるという言説に結びつけて説明する。
ここでは、政治的主張の真偽を本記事が判定するのではなく、Reasが映像制作の文脈で述べた関心として読む。講演の「現在の政権」への言及も、2018年という時点の発言である。
表示の方法として選んだのは、CRT、つまりブラウン管の画面だった。Reasにとって、その時代の政治はその装置を通して見られていた。低い解像度や強い色は、過去らしさを足す装飾にとどまらず、政治的な瞬間をどう経験してきたかに関わる。
同じ記録映像でも、どの装置を通すかで受け取る感触は変わる。ここまでの作品でコードや差分が担っていた変換の役割を、この映像では表示装置の性質も担う。素材と処理の関係を考える視点が、記録とメディアの関係へ広がっている。
制作へ持ち帰るための視点
ここからは編集上の考察です。 この講演から持ち帰れるのは、特定の映像効果のレシピ以上に、実験の残し方だ。採用しなかった処理や途中のテストを、失敗として閉じず、別の素材や曲と結びつく可能性として保存しておく。作品をまたいで試行が続くと、個々の納品だけでは見えない制作の蓄積が生まれる。
もう一つは、処理の前後を往復することだ。先に素材を全部集めてから効果を決めるだけでなく、処理を試してから、何を撮るべきかを考え直す。「Guilty Party」の人物撮影は、その往復を具体的に示している。
同じフレーム差分でも、入力の組み合わせ、重ねる時間、音楽、人物との関係によって、表現は変わる。コードの独自性だけに焦点を絞らず、何を素材にし、誰とつくり、何に応答するかを見ることで、技術を使った制作の判断を、より細かく捉えられる。