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EYEO 2018 · Giorgia Lupi

まだデータと呼んでいないものを見る — Giorgia Lupiのデータ・ヒューマニズム

既存の数表だけでは、人の経験は捉えきれない。手描きの往復書簡から展示、音楽との協働まで、観察と問いによってデータをつくる実践を辿る。

登壇者
Giorgia Lupi
開催年
2018
講演原題
THE DATA WE DON’T SEE
記事更新
2026.10.17

データの仕事は、渡された表から始まるとは限らない。どんな出来事に目を向け、どう分類し、何を一緒に記録するか。その手前の判断によって、伝えられる人の経験は変わる。Giorgia Lupiの2018年の講演は、まだ表や数値になっていないものを見つめるところへ、データ可視化の範囲を広げる。

題名は「The Data We Don’t See」。Lupiは手描きの個人プロジェクトだけでなく、会社の仕事、展示の構成、参加者との対話、音楽家との協働を紹介する。そこに共通するのは、データを目的そのものにせず、人や物語へ近づくための媒体として扱う姿勢だ。

手描きの往復書簡が変えた、仕事の問い

00:19からの講演を見る

講演の冒頭で振り返るのが、Stefanie Posavecとの「Dear Data」である。二人は一年間、毎週同じ主題について自分の生活を観察し、手描きのデータをはがきにして交換した。表には図、裏には読み方を示す凡例と宛先がある。離れた場所にいる人を、日々の記録から知るための実験だった。

数えるのは行動の回数だけではない。そのとき何が起きていたか、なぜそうしたのか、どんな気持ちだったかも記録する。たとえば否定的な感情を記録するなら、それを一つの値へ押し込む前に、違う種類の経験をどう分けるかを考える必要がある。

分類することは、すでに分かっているものへ名前を付ける作業に限らない。曖昧な経験を見直し、自分にとって何が違うのかを発見する行為でもある。手で記録し、描くために長く向き合うと、普段なら通り過ぎてしまう癖や、気づきたくない自分の一面も見えてくるという。

この取り組みは、会社の成長と、Lupi自身の役割の変化にも関わっていた。仕事のすべてを自分で描けた時期から、他のデザイナーや開発者と大きな案件を進める時期へ変わる中で、技術や見た目の指示に加え、仕事を導く考え方が必要になっていた。

Dear Dataから得た、人の生活を理解するためにデータを使うという視点は、個人の作品だけに閉じない。チームが何のために可視化するのかを問い直す軸にもなった。観察を深めることと、自分の実践を言葉にすることが結びついている。

あるデータを使う前に、目的へ立ち戻る

14:22からの講演を見る

TEDの参加者向けの仕事では、すでに職業や出身地などの登録情報が集まっていた。依頼の出発点は、その情報を使って参加者の多様さを表すことだった。しかしLupiたちは、手元にある情報をそのまま図にする前に、それが参加者自身にとって何をもたらすかを考え直す。

そこで、どこで良いアイデアが浮かぶか、といった少し個人的な質問を加え、回答を色や記号へ対応させたデータ・ポートレートをつくった。図は身につけられる小さなバッジとなり、人と人が共通点や違いについて話すための手がかりになる。

職業の肩書きを交換するだけでは始まらない会話を、別の情報から開こうとする設計だ。Lupiは、この仕事の価値を図の複雑さではなく、最初の依頼を問い直したことに置いている。すでに取得されているデータと、人にとって意味のあるデータは、必ずしも重ならない。

Eyeo自身の参加者向けバッジにも、同じ考え方が展開された。データを見る人が、自分もその中に含まれていると分かる。図を一方向に説明を伝えるものから、会話の場をつくるものへ変える試みである。

観客の答えが、空間の一部になる

18:28からの講演を見る

ニューヨークのコンセプトストアSTORYでは、仕事の未来を主題に、来店者の回答が加わっていく壁面の仕組みをつくった。一人の回答を一つの単位として、色や模様で質問への答えを表す。店のスタッフが凡例を読み、更新できる単純さも重視されていた。

完成したデータセットを鑑賞する場とは違い、来店者は、自分の回答が空間の中へ加わる様子を見られる。戻ってきたときには、他の人の回答も増えている。図の更新が、誰かがそこに参加した痕跡になる。

Lupiの事例では、情報を収集する行為と、図を使う経験が切り離されていない。参加する前に決められた尺度で測られるだけでなく、答えを寄せることが共同の表現を育てる。その設計が、抽象的な主題を自分の考えと結びつける入口になっている。

データがない場所で、分類を設計する

MoMAの「Data Items」では、出発点に数表はなかった。あったのは、ファッションの展示で選ばれた111の衣服や装身具の一覧と、キュレーターによる調査資料である。Lupiは、その選択の背後にある判断を読み解こうとする。

その品物は、素材や技術、見た目の特徴によって選ばれたのか。それとも、社会で何を意味するかによって重要なのか。集団への帰属を示すものなのか、そこから離れるためのものなのか。こうした問いを使って、文章で蓄積されていた知識を、比較できる情報へ整理していく。

分類は、作品から自動で取り出される唯一の正解ではない。キュレーターと相談し、展示の目的に合わせて設計された解釈である。Lupiは、最終的に選ばれたものから、その選択を支えていた見えないデータセットを逆に組み立てる仕事として説明する。

この事例が示すのは、データを設計することと、都合の良い数値をつくることの違いでもある。何を根拠に、どの問いで分類したのかがある。すでに数値化された情報だけで世界を捉える代わりに、その周りにある定性的な知識を、問いと一緒に可視化の中へ招き入れる。

読む人が、自分の参照枠をつくる

Google News Labとの「Building Hopes」では、データを見る前の行為に重点が置かれる。講演当時は公開前の試作として紹介され、利用者が自分の希望を託す主題を選び、その強さを表す石を積み重ねる構想が語られた。

その後で、選んだ主題に関する検索のデータへ入る。同じ数値でも、何を気にかけている人が見るかによって意味は変わる。先に自分の関心を形にすることで、検索の増減を、他人事の統計ではなく、自分が立てた問いとの関係で読めるようにする。

ここでの狙いは、すべての読者に同じ解釈をさせることではない。どこからデータを読んでいるのかを、利用者自身が少し意識できるようにすることだ。Lupiは、情報へのアクセスを設計することと、一つの真実を図で言い切ることの違いに目を向けている。

数字の外にあった日々を、音楽と描く

35:27からの講演を見る

最後の大きな事例が、音楽家Kaki Kingと制作した「Bruises — The Data We Don’t See」である。Kingの娘の病気をめぐる日々を、検査の数値だけでなく、観察や家族の感情とともに記録した。音楽との協働は、病気が家族にもたらした経験を扱うものだった。

37:00からの講演を見る

図では、一日が花びらのような単位になる。検査のタイミングが日々を区切り、体に見られた変化、治療に関わる出来事、離れて仕事をする日の不安、明るい出来事などが別の形で重ねられる。希望と恐れも、一つの気分へまとめず、別々の記録として扱う。

複数の情報を重ねることで、数値が良くなったか悪くなったかだけでは捉えられない日々が見えてくる。検査結果を待つ時間と、家族の誕生日のような出来事が、同じ期間の中にある。その並存を消さない表現が、経験の厚みを支える。

39:00からの講演を見る

記録はKingによって音楽にもなった。図と曲が同じ期間を異なる方法で辿る。Lupiは、これは科学的な診断のための表現ではないと明示する。作品が扱うのは、医療データから原因や治療効果を判断することではなく、その周囲にあった生活の経験だ。

講演で上映されるKingの言葉も、記録を図と音楽へ変えたことが、経験を一つの場所で見つめ直す手がかりになったと語る。ここで記事が紹介するのは、二人が説明する制作の意味であり、記録や芸術に一般的な治療効果を主張するものではない。

人のために、何を記録するか

43:48からの講演を見る

Lupiは、自分の関心をデータ・ヒューマニズムという言葉で説明する。データを無謬のものとして扱う代わりに、人が何を観察し、どう分類し、どんな不完全さを持つのかを含めて考える。効率を上げること以外にも、データを使う理由を見いだす姿勢だ。

講演を通じて、手作業と大規模な仕事、個人の記録と企業の案件は、別々の領域としては描かれない。人にとって何が意味を持つかを問い直すことが、バッジの質問にも、展示の分類にも、親しい人との協働にも共通している。

制作へ持ち帰るための視点

ここからは編集上の考察です。 渡されたデータを眺めるとき、含まれる変数だけでなく、そこに残っていない経験を一度考えてみたい。記録されていないものが、利用者の理解にとって重要かもしれない。追加で集める必要があるなら、その目的と分類の根拠も設計する。

同時に、個人的な記録を豊かに見せることと、何でも収集することは異なる。Lupiの事例を自分の仕事へ応用するなら、誰が何のために参加し、誰に見せるのかを、表現と一緒に考える必要がある。人間的なデータは、詳細が多いだけで成立するものではない。

この講演が促すのは、データの定義を守るために情報を切り落とすより、問いに必要な情報の形を探すことだ。図を描く手前の観察から、読む人の参照枠までを含めると、可視化は経験と経験をつなぐ仕事として見えてくる。

出典・関連資料

この記事は非公式の解説です。講演の全文翻訳ではありません。映像と音声で伝えられる作品の表現も、元動画でぜひご覧ください。