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EYEO 2019 · Lauren McCarthy

誰が見守り、誰が決めるのか — Lauren McCarthyが問い直す家とテクノロジー

人間がスマートホームの知能になったら、便利さや親密さはどう変わるか。監視とケアをめぐる作品から、p5.jsで居場所をつくる実践へ。

登壇者
Lauren McCarthy
開催年
2019
講演原題
FEELING AT HOME
記事更新
2026.10.17

家は、自分らしくいられる場所だと言われる。その家へ、生活を観察し、先回りして行動する知能が入ってきたら、何が起こるのだろう。Lauren McCarthyの2019年の講演「Feeling at Home」は、便利な機器の性能から少し離れ、人と人の関係としてテクノロジーを考え直す。

紹介される作品では、作家が誰かを一日追いかけ、人間が家庭の自動化を担い、眠りかけた人が枕の声と話す。奇妙な設定は、技術を分かりやすく擬人化するためだけのものではない。抽象的なシステムを、気まずさや期待、気遣いのある経験へ戻す方法になっている。

見られたくないのに、見てほしい

05:41からの講演を見る

「Follower」は、一日だけ現実の生活をフォローしてもらう作品だ。参加希望者は、なぜ見られたいのか、なぜ誰かが自分を見るべきなのかを答える。選ばれると、ある日にフォロワーがつき、終わりには自分の写真を一枚受け取る。フォロワーの役を担ったのはMcCarthy自身だった。

ここには、監視への不安と、誰かに存在を認めてもらいたい気持ちが同居する。日常を共有したいけれど、会話や関係を維持する手間はかけたくない。オンラインの反応より、自分の実際の生活にも価値があると感じたい。応募者の言葉が、単純な賛否では片づかない欲望を示している。

McCarthyは、見られることを望める人と、望まなくても見られてしまう人の違いにも触れる。同じ「誰かがついてくる」という出来事でも、誰が誰を見るのかによって意味が変わる。作品の設定を、誰にとっても同じ体験として扱うことはできない。

見ている側にも変化が生じる。オンラインの投稿を流し見る代わりに、対象の人が電車で席を探したり、食べ物を選んだりする時間へ注意を向ける。劇的な事件より、小さな身振りが大きな意味を持ち始めたと語る。接続の有無だけでなく、どのような注意を相手へ向けるかが問題になる。

便利な画面の向こうに、人がいる

講演では、アプリを介したサービスが、相手を見えにくくすることにも話が及ぶ。ボタンを押すと何かが届く。そのとき、仕事をしている人との接点が、地図の点や操作画面に置き換わる。便利さは、関係の一部を省略することでも成立している。

Followerでは、参加者が作家の位置を地図で追いかける構成にはしていない。逆に、誰かが自分に注意を向けているという感覚を置く。位置を確認して操作する立場と、見られる存在になる立場を入れ替え、普段のサービスでは意識しにくい関係を浮かび上がらせる。

この作品は、現実に他人を追跡することを一般の読者へ勧めるものではない。講演中の観客向けの実験でも、他の人を実際について回るのでなく、そうした時間を想像するよう繰り返している。参加する枠組みのある作品と、日常の行動を混同しないことが重要だ。

自分がAlexaになってみる

14:07からの講演を見る

家をめぐる問いは、McCarthy自身が誰かと暮らし始め、家具や住まいのあり方を一緒に決める経験から深まる。自分には当たり前だった選択を言葉にすると、家が一人の好みだけで決まらないと分かる。他の存在と住むことは、すでに調整や交渉を伴っている。

そこへスマート機器が入ると、家の中で何を観察し、何を便利とするかに、機器を設計した人々の判断も加わる。McCarthyは、自分らしく過ごす場所が、外から持ち込まれた前提によって整えられることに関心を向ける。

17:32からの講演を見る

その問いを実際の関係として試すのが「LAUREN」だ。参加者の家に専用の機器を置き、McCarthyが遠隔で様子を見て、照明や家電などを操作する。人間なら相手を理解し、必要なことを先回りできるのではないか。作家自身がスマートホームの知能の役を担う。

参加者の語りには、頼まなくても分かってもらえる心地よさと、支援されたいけれど制御されたくはないという感覚の両方がある。友人のようでも、会話の中心はいつも自分で、関係は対称ではない。その違いは、親しみやすい声だけでは消えない。

「見守る」という言葉は、相手を助けることにも、相手を見張ることにも近づく。作家を人間に置き換えると、その境界が単純になるのではなく、かえって複雑になる。相手が何を望んでいると判断するのか、どこまで行動してよいのかが、具体的な迷いとして現れる。

操作する側にも、身体と不確かさがある

23:02からの講演を見る

McCarthyは、参加者側の体験だけでなく、自分の側の戸惑いも見せる。何か役に立てているだろうかと心配しながら、余計なことをしてしまうのをためらう。別の役を演じているつもりでも、自分の人柄や遠慮から自由にはなれない。

相手がすでにある行動をしたか確かめる場面では、記憶と映像を頼りに判断することの不確かさも語られる。録画があるから完全に分かるわけではない。何かを見逃すことや、答えを間違えることには、現実の相手への影響がある。

時差も、その関係へ入り込む。相手にとって昼でも、見守る側には夜中という時間がある。遠隔で即座につながることは、身体の時間を同じにすることではない。便利な応答を成立させる側に、眠気や労力があることが露わになる。

講演はここから、自動化された機器の背後にも人の労働があるという話へつながる。McCarthyはKate CrawfordとVladan Jolerの「Anatomy of an AI System」を参照する。人間を入れるという作品の仕掛けは、完全に無人に見えるサービスを、別の角度から見直す方法でもある。

誰かが引き受けるとき、関係は変わる

28:32からの講演を見る

「SOMEONE」では、作家一人が担っていた役割を、ギャラリーへ来た人へ開く。複数の参加者の家と展示空間をつなぎ、訪問者は画面を介して家の様子を見たり、機器を操作したりする。家の中から呼びかけがあると、誰かが応えることになる。

McCarthyが気づいたのは、人々はボタンを動かすことには積極的でも、相手へ直接話しかけることにはためらいがちだったという違いだ。操作できる対象として向き合うことと、人として応答することのあいだに、距離がある。

この作品では、抽象的なシステムの権限を、人が持つ関係として感じられるようにする。相手の暮らしを見られる、何かを変えられる、けれど何をすべきかは明白ではない。操作可能な機能が増えることと、適切な振る舞いが分かることは別だと気づかされる。

眠りのそばで、知能への期待を演じる

31:41からの講演を見る

「Waking Agents」は、枕を使って、さらに私的な境界へ進む。参加者は靴を脱ぎ、横になり、知能を備えたものとして紹介された枕の声を聞く。その裏側では、人間のパフォーマーが相手の声を聞き、音や合成音声を通して応答する。

最初は定型的に感じられる会話から、次第に個人的なやり取りへ移っていく。相手の向こうに人間がいると、どの時点で気づくのか。あるいは気づかないのか。McCarthyはそれを、単に人をだます仕掛けではなく、期待をめぐる問いとして説明する。

演じる側も、知能を備えた助手ならどう話すかという期待に従っている。参加者だけが技術を想像しているのではなく、応答する人も、その像をつくりながら振る舞う。機器の意味は、その中の処理だけでなく、双方の思い込みからも生まれている。

居場所は、コードの周りにもつくる

36:33からの講演を見る

終盤、話はp5.jsの活動へ移る。作品では曖昧さを扱ってきたMcCarthyが、ここでは誰を迎えたいのかを明確に言葉にすることを重視する。自分自身がオープンソースの場で、自然に入れる感覚を持てなかった経験が、その出発点にある。

Webで動くProcessingの解釈をつくるという技術の課題に加え、いま誰がアクセスできないのかを問う。教材の言語、文化に合った説明、インターネット環境、視覚に頼る最初の作例などが、参加の条件になる。

円を画面に描くことを最初の成功として想定しても、その円を見られない人には同じ入口にならない。翻訳も、単に単語を置き換えれば終わるわけではなく、例え方や学び方を考え直す仕事を含む。誰を標準の利用者としていたかを、道具と説明の両方から問い直している。

講演の最後に語られる家は、一つの建物ではない。他の人とつくり、それを機能させる仕組みを整え、保ち続ける場所である。スマートホームの作品とコミュニティの活動は、異なる方法で、人がどこなら居られると感じるかを問うている。

制作へ持ち帰るための視点

ここからは編集上の考察です。 インターフェースを設計するとき、利用者が押せるボタンの一覧だけでなく、その操作が誰に何を求めるのかを考えたい。画面の外で応える人の時間や、ためらいを想像すると、便利さの評価に別の尺度が加わる。

また、できることと、してほしいことを分ける必要がある。LAURENの戸惑いは、相手をよく知ろうとすることが、相手の代わりに決める正当性を自動で与えないと教えてくれる。支援と制御の境目は、機能の中だけでは決まらない。

p5.jsの話へ戻れば、参加しやすさは完成後の説明文だけで改善するものではない。最初の作例、教材、話す言語、貢献の方法からつくられる。誰にとっての居場所かを明確にし、その答えを参加する人と変え続けることも、制作の仕事になる。

出典・関連資料

この記事は非公式の解説です。講演の全文翻訳ではありません。映像と音声で伝えられる作品の表現も、元動画でぜひご覧ください。